2013年8月30日金曜日

その4 インドネシア と 日本 の 神話

『インドネシアは日本と世界をつなぐ"架け橋"だった』




こんにちわ。インドネシアも日本も、長いお休みが終わって、平常を取り戻しつつある今日この頃ですが、皆様、いかがお過ごしですか?

前回 は『 日本人のルーツはインドネシア人だった』というお話をしました。
縄文時代の日本には、インドネシアから黒潮にのってやってきた海洋民族が移り住んでいて、稲作を中心とした縄文文化や弥生文化を育み、古代日本の基礎を築いたという内容でした。

『では、インドネシア人のルーツは何人なの?』というお問い合わせを沢山頂戴しました。
ありがとうございます。
一般的に、インドネシア人のルーツは、メソポタミア(いまのトルコやイランあたり)に住んでいた古代ペルシャ人だといわれています。その当時は、ヒッタイト人やシュメール人といわれた人々です。世界最古で最強の文明をもっていた彼らが、インドを経由して、インドネシアにやってきたと考えられています。このお話は、機会を改めて、詳しくさせて頂きたいと思っています。

さて、今回のテーマは神話です。

日本最古の文献は、今から1300年前に編纂された『古事記』と『日本書紀』で、日本の国の成り立ちについて描かれています。この『古事記』には、はじめに「神々の物語」について書かれていますが、とても日本の神様とは思えないほど、神々の言動が陽気で、楽天的で、ハチャメチャです。

神々が「どんちゃん騒ぎ」をしながら天と地を創造した後、あとを任された日本の皇祖神・イザナギは、イザナミとの共同作業(エッチ)を繰り返して、あらゆるものを産みながら、日本の国土の基礎工事をします。

日本の大地を作くるイザナとイザナ小林永濯・画

実は、日本の神話は、日本固有のオリジナルばかりではなくて、インドネシアの神話に由来したものが多くあります。

今日は、そんなお話をしたいと思います。

●開闢(かいびゃく)

インドネシアの神話では、最高神であるバタラが、天と地と太陽と月と神々をつくります。
手が四本あって、タコにもイカにも、インドからやってきた神様らしいです。
インドネシアの大地が、あっちにいったり、こっちにいったり、海の上を漂うので、バタラは神々に命令して、インドから山を運ばせて、ジャワ島に重りを乗せていきます。
山を西に置くと、ジャワ島が西に傾き、山を東に置くと、今度は島が東に沈みそうになって、バランスをとっているうちに、ジャワ島は、東西に火山が連なる地形になったと伝えられています。

神々に命令する最高神・バタラ(左)

このインドネシアの最高神・バタラが、日本神話のイザナギのモデルになったという説があります。インドネシアの大地を造った神様も、日本の大地を造った神様も、共通して、ヤンチャで、お茶目で、気まぐれです。

そして。。。

『古事記』によると、皇祖神・イザナギが左目を洗って生まれてきたのが、天照大神(アマテラス・オオミカミ)です。
このアマテラスが孫のニニギノミコトに、天で、稲穂をわたして、日本の国造りをするように命令をします。
ニニギの名には、「日本の国に稲穂がニギニギしく実る」という願いが込められています。
この時、アマテラスは、稲穂と一緒に、三種の神器(鏡・玉・剣)をニニギに授けています。
この三種の神器は、日本の天皇家に代々伝えられ、現存しているといわれています。



一説には、このアマテラスが、インドネシアから渡ってきた邪馬台国の卑弥呼であり、渡された稲穂は、ジャワ島のジャワニカ米であったとされています。
実際に、ジャワニカ米は、沖縄米とほぼ同じで、ジャポニカ米にも似ています。インドネシアでも日本でも、神話の時代から、稲作が最も重要な文化でした。


●海幸彦と山幸彦

ニニギの子供が、海幸彦と山幸彦で、有名な『海彦・山彦』の物語の主人公です。



兄の海彦は海で釣りをし、弟の山彦は山で狩りをして、暮らしていました。
ある日、山彦は、兄から釣り竿を借りて、念願だった釣りに挑戦しました。
ところが、せっかくかかった魚に逃げられたあげく、大切な釣り針をなくしてしまいました。


どんなに謝っても、代わりの釣り針をこしらえても、山彦は怒って、決して許してくれません。
海辺で途方に暮れていると、塩の神が現れて、「海の神に相談すると良いよ!」と親切に教えてくれました。

塩の神

海彦は、塩の神に教えられた通りに出かけてみると、海の神の娘である豊玉姫がやってきました。二人はすぐに恋に落ちて、結婚します。
しばらく楽しく幸せな新婚生活を竜宮城で過ごした後で、海の神に頼んで、釣り針をくわえて逃げた魚を探して出し、因縁の釣り針を取り戻すことが出来ました。

海の神は、弟を許さなかった意地悪な海彦に呪文をかけて、しばらくの間、こらしめます。
海彦は、十分に反省して、それからは、弟の山彦を大切にしたというのが、日本の物語です。

この海彦と山彦の物語も、インドネシアが発祥だと言われています。
なくした釣り針の話は、インドネシア中の至るところで伝承されていますが、一番正確に伝えられているのが、スンバワ島のコタビマです。(バリ島の東にあります。)

コタビマの海岸

スンバワ島の王になった兄ちゃんの釣り針をなくして、怒られた弟のコマラ殿下が、魚の王様の城へ行って、釣り針を取り返してくる物語です。 怒った兄ちゃんを深く反省させるところまで日本の神話とまったく同じですが、コマラ殿下は、兄ちゃんを反省させるために死を選びます。

相手を許さずに殺してしまうのが西洋の神話ですが、最後は相手を許してあげるのが東洋の神話の特徴です。

そして、寛容ながらやや過激で残酷なところもあるインドやインドネシアの神話を、さらに穏やかでマイルドなオブラートに包んで仕上げたのが、日本の神話です。
 
そして、山彦と豊玉姫の間に産まれた子供の子供(いわゆる孫)が、日本の初代天皇となる神武天皇です。
神武が天皇に即位したのは、2673年前とされています。
「日本は世界で一番長い歴史を有する!」と、いわれる所以(ゆえん)です。

                    月岡芳年大日本名将鑑」より「神武天皇」


●因幡の白ウサギ

日本の皇祖神・イザナギの一番末の息子が、大国主命(オオクニヌシのミコト)です。
大黒様として親しまれる農業と商売と医療の神様です。
サメをダマして海を渡ろうとしたウサギを助けたご褒美に、80人もいる兄弟全員が憧れていたマドンナのスセリ姫を妻として与えられた果報者です。



ただ、子供達に『因幡の白ウサギ』の物語を聴かせるときは、スセリ姫をゲットしたお話はカットされます。(笑)

この『因幡の白ウサギ』の物語も、インドネシアが起源だとされています。

ただ、インドネシアで登場するのは、白ウサギではなくて、カンチルという子鹿です。
カンチルは子猫のような大きさの小さい豆鹿で、インドネシアの神話や童話に、数多く登場する人気者です。カンチルは向こう岸に渡りたくなって、ワニをダマして並べます。そして、カンチルは無事に向こう岸まで渡り切ります。


この『カンチルとワニ』の物語は、インドネシアで一番有名な童話です。

この物語が日本に伝えられると、カンチルは日本にいないので、白ウサギになり、ワニも日本にはいないのでワニザメになって、無事に向こう岸に渡られると含蓄のある物語にはならないので、ウサギはサメに皮をはがされて、『人をダマしてはいけません』という話に変わります。
これだけでは神話にならないので、大黒様が登場して、ウサギを助けて、正妻を娶り、子作り=国造りに励むというストーリーに発展します。

大黒様には妻が6人、子供が180人いたそうで、日本の少子化対策のシンボルになりそうな神様ですが、ご婦人からは怒られそうです。

●八岐大蛇 (ヤマタノオロチ)

天照大神(アマテラス・オオミカミ)には、スサノオという弟がいました。
スサノオは、天の神聖な御殿でウンチをしたり、暴れたりで、ヤンチャものでした。
アマテラスは、弟の暴挙に嫌気がさして、「天の岩屋」 にかくれてしまい、最後は、弟を天から追放してしまいます。

そんなスサノオでしたが、不思議なことに、地上に降りると、急に善い人になって、若い娘をさらって食べる悪い大蛇を退治して、助けた娘と結婚し、宮殿を造って、出雲の国を治めます。

スサノオ と ヤマタノオロチ 月岡芳年 作 

このスサノオと八岐大蛇 (ヤマタノオロチ)の物語も、古代からインドネシアで語り継がれているアジサカ伝説がモデルだといわれています。

アジサカは、不思議な魔法が使える身分の高い英雄で、インド方面からジャワ島にやってきました。
当時のジャワの国は、人肉を食べる王様が支配していて、人民を苦しめていました。
これを知ったアジサカは、正義感に燃え、魔法を使って、その王様を崖から海に突き落とし、ワニのエジキにしてしまいました。そして、アジサカは、悪い王様に代わってジャワの国を治めるようになります。

ところが、ワニに喰われたはずの王様は、白い巨大なワニに変身して、パワーアップしていました。
アジサカは、白い巨大な蛇を味方にして、白いワニを激闘の末に退治します。


このワニ退治のアジサカ伝説が、日本に伝わって、大蛇を退治する物語に書き改められました。


●南の海の女神 ・ ニャイ・ロロ・キドゥル



インドネシアの神話に、一番数多く登場するのが、ニャイ・ロロ・キドゥルです。
南の海に住むこの女神様は、長い黒髪の美人で、いつも緑色の服を着ています。

古代から、インドネシア各地の国王は、海の女神に忠誠を誓い、彼女の加護を得ることによって、国を安寧に治めることができました。
今日でも、ジャワの国王などは、このニャイ・ロロ・キドゥルを正妻として迎え、女神とのプラトニックでスピリチュアルな夫婦生活を続けています。現世の人間である奥様は、第二婦人です。
そのお陰で、多くの困難や苦難を乗り越えて、ジャワの王族の地位は、何百年にも渡って安泰で、ジョグジャカルタの都は栄えてきました。


また。。。

15000以上の島々を有するインドネシアでは、古代から海の事故が多発しますが、家族や知人が海で遭難すると、「海の王宮に召されて、ロロ・キドゥルの女神に仕えている!」と信じ、深い悲しみの中にもあきらめと安堵の心持ちを保つように努めます。

スマトラ沖地震の津波で家族が行方不明になってしまった弊社のスタッフも、「ロロ・キドゥルの元に召されたのだと思います。」と述べていました。古今東西、神に愛されている方々ほど、早く召されるように思います。

また、インドネシアの大人達は、「ロロ・キドゥルが海岸に人をさらいに来るぞ」といって脅し、子供や若者達が危険な海に無闇に近づかないように戒めています。

インドネシアの人を海にデートに誘うのは、野暮の骨頂で、粋ではないので、気をつけて下さいね。


このように。。。

インドネシアの人々は、ロロ・キドゥルを女神として崇め、敬い、貢ぎ物を捧げ、怖れてきました。

ロロ・キドゥルのゆかりの地を訪れる度に、竜宮城の乙姫様ではなくて、天照大神(アマテラスオオミカミ)に通じる何かを感じます。

日本の天照大神は、伊勢神宮をはじめ多くの神社に祀られ、皇室はもちろん、多くの日本の人々に信心されてきました。
お陰で、天皇家は、2600年以上にも渡って安泰で、日本の都は栄えています。
痩せても、枯れても、デフレでも、不景気でも、日本は世界の日本です。

弊社のインドネシアの事務所にも、神棚を飾り、天照大神を祀っています。お陰で弊社は、今のところ安泰です。有り難いことです。でも、明日、怒りをかうかも知れません。(汗)

ここで、一口アドバイスです。

日本の神様は、いくらお願い事をしても、絶対に叶えてくれません。
神社やお寺は、御礼や報告に参る神聖な場所ですから、世俗的な御願いをすると、逆効果です。
「神様には、今生きていることの感謝だけをして、願いごと等があれば、自分の心の中で、やるべきことを決意するのが、正しい信心です。」と、伊勢神宮にお仕えの方が教えて下さいました。

日本の三重県伊勢市にある皇大神宮正殿の画像  by N yotarou, August 2006


最後になりますが。。。

インドネシアには、日本とおなじくらい数多くの物語があって、書店にも神話や民話の絵本が、多数ならべられています。
ただ、宗教上の理由や時代の流れで、家庭や学校でも、神話が子供達に語られる機会がどんどん減っています。
また、土地土地に伝承される物語を知るお年寄りも少なくなっています。
さらに、宗教の教えや社会の道徳と矛盾しないように、古代から伝わる神話や民話の内容が変更されたり、一部が削除されたりしています。

インドネシアの神話はインドネシアの人々にとって貴重な文化ですが、日本の神話の謎を解く貴重な鍵でもあります。
文化の大切さを知る人達が協力して、こちらの神話や物語を、できるだけ正確に記して遺しておく必要であると思っています。
ご協力を賜れれば、この上ない幸いです。



今回も、ご拝読頂きまして、誠にありがとうございました。(深くペコリ)


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